5分間コンサルティング マジメに護国

遺書

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私は社会の子であった。
このように過去を振り返るのならば尊大と言われてしまうのでしょうか。
それでかまわないと考えてしまうあたり、私は尊大であるのかもしれません。

私も人として生まれた以上、両親がおります。
恵まれた環境の中、不自由なく育ちました。
また、両親も健在です。
このような幸せを謳歌しながら、そして両親へ感謝をしながらも。
やはり私は社会の子であったと人生を振り返ります。

私の両親は、私が物心がついたときには共働きをしておりました。
そのような環境下において私は祖父母の家に預けられることが多く、そして人として大切なことは特に祖父母から教わりました。
もちろん両親の教育、保育園や小学校、または友人との関係の中で構築された自我や良心は少なくないことでしょう。
しかし、私という人間の骨子は祖父母によって育まれた。
そう言って過言ないほどに祖父母は私に人としてあるべき姿を、その人生を通して教えて下さいました。
決して人様に迷惑をかけてはならない。
至極当然のこの真理を幼い私に何度も根気よく言って聞かせ、根幹としてくださったことをとても感謝をしています。

私が中学生から高校生の時、私の教師は大叔父でした。
学校の校長先生を勤め上げ、一族の長としてその人生をもって家族を守り抜いた彼は私を最後の生徒として私に教えを授けてくださいました。
私は大叔父から人の人生とはいかなるものか、何をもってどのように生き、そして何を成すのかということを学びます。
人の世を渡る理由と、意味と、その方法を与えてくださいました。
私が経営というものを意識し始めたのはこの頃でしょうか。
人の世を理解していくほどに、人としてのあるべき姿を考えるほどに、私がこの世において成すべきことは何かを考えます。
両親が経営者であったということも背景に、私は自らの行うべき使命は経営であるとおぼろげながらに選択をし始めました。
二人きりでお話ができる機会はそれほど多くはありませんでした。
ですが私が今すべきこと。乗り越えるべき壁。
先を見渡す確かな目を持ち、暖かさをもった助言に私は救われておりました。
今でもお会いしているときを思い返す度に、そして私がより多く物事を知る度に、あの時の先生の思いや考えの深さに迷い込み、そして現在に自らの成すべきことや壁を発見するに至ります。
人においての死とは、肉体を失うことではないということも教わりました。

大学は私には馴染みませんでした。
今に思えば、馴染まないというよりは私の忍耐力の無さが原因です。
私は自らのやりたいことやその逸る気持ちを抑えることができず、そして矮小な自らや自らの価値や魅力の低さに耐えることができず、大学においての学びを軽率に軽んじ抜け出してしまいます。
これは大変に軽率な判断でありました。
今思い返すと、高度な機関に身を置き学べるということは貴重なことです。
しかし、そのときの私は何よりも実力を要し、事実を欲しておりました。
仮にもう一度人生を繰り返せるとして、今度は同じ過ちを繰り返さないかと言われるとその自信もさほど持つことができません。
やはり、馴染まなかった。
そして、それでよかった。
このように考えて良いのかもしれません。
事実、大学を3年生で辞めてしまったことの後悔は私には一つもありません。
ただ学びは貴重であり、もったいないことをしたなと、もう少しその期間があっても良かったなとも感じます。

大学を飛び出してから、私を受入れてくださったのは社会でした。
社会と言っても、私の恩人はわずかに数名。
一般に言う社会とは決して私に優しい環境ではありませんでした。
しかし私のような者に親身になってくださった恩人である彼らをもって、それは社会であった。
このように考えてもよく、また現在社会に生きる場を持つ私は社会に愛されている。
そう考えるべきであるのだろうと理解をしています。
それこそ、万象皆師。
ご縁をいただく方の全てが先生でありますが、その中でも私はお二人の恩人に恵まれます。

そのお二人のお名前を出すことは控えますが、小さくない会社の代表をされていた方です。
お一人には経営を行う理由であり、その精神を教えていただきます。
私の言うところの、自らの人生を生きることの意識、信念、そして覚悟と責任です。
私たちは誰かの寄辺となる、そのためにこそ誰かを寄辺とすることなく自立しなくてはならない。
自らを確立し、そして磨き上げるということを学びます。
人は孤独に耐えるからこそ、そこに確たる尊厳を手にする。
元来の孤独を知るからこそ、他の方としっかりと手を取ることができ、その関係を大切にすることができる。
この精神を学びました。
「私が語りたくて語っていることです。いつも聞いてくれてありがとう。」
このように笑顔でお話になる姿を、きっと私はいつまでも忘れることができません。

もうお一方の恩人には、経営の実践的手法を授けていただきました。
経営とは投資である。
故に経営とは貢献である。
貢献を実現するための技術を経営術と呼ぶ。
頭の悪い私は当初、この理解に苦しんだ記憶があります。
これはつまり、経営とは自らの私腹を肥やすために行うことではない。
お客様や社会に新しくより大きな価値を提案し提供し続けるということが経営である。
そのためにはお金が必要となる。
故にしっかりと稼ぎ、利益を頂戴しなければならない。
だからこそお客様に愛され、社会に認められるだけの確たる信念と言動を必要とするということです。
中々理解ができず、自らの言葉で語ることのできない。
そんな出来の悪い私を見て、当初の同年代の私よりも出来が良い。
きっと将来に活躍し世に貢献できる者となれるだろうと根気をもって接し、そして愛して頂いた方でした。

このような偉大な先生方から教えを受け、そして社会の子を自認する私です。
ですがどうにも、その出来が良くない。
これは認めなければなりません。
社会は常に私に何ができるのかと問うている。
そして私も常に社会に何かしらの爪痕を残そうと爪を研ぎ、立てている。
しかし未だ自らを残すには至らず、その未熟を恥じるばかりです。
このような私が、せめてできることを模索した。
私が受けた学びや教育を、私という特別な幸運に恵まれずとも多くの方に知っていただき、触れることのできるように広く無償にて公開をする。
私の人生、そのたった1年を捧げた取り組みでありました。

これにて私は、私の人生においての最低限の役割を果たしました。
とても小さなものではありますが、当ブログは私の持つ知識の大半と言って良いでしょう。
その意味で、私の人生に一つ肩の荷が下りた。
悔いを残さぬという遺書であります。
また、私の言葉では到底に恩人方の想いを代弁するには至りませんが、彼らの信念、心の持ちよう、そして世に残したいと願った信念の遺書であります。

私はこれからの人生を飛躍に導くために。
よりよく生きるために。
しっかりと今後の人生を経営するために、ここに遺書を残すのです。


-5分間コンサルティング, マジメに護国

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