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かつて、私たちは神であった

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かつて、私たちは神であった

 

自尊心と自負

尊大もここに極まれり。
良いのです、認めましょう。
私は尊大な自己を抑えることができません。

なんてことではないのです。
ですがタイトルがタイトルですからね。
また先日には、「私は社会の子」なんてほざいてもおりますからね。
そのような誤解も甘んじて受けましょう。

とは言え。
イエス・キリストを持ってしても神の子です。
その上で、私風情がかつての神を名乗るわけです。
そのような教派の、特に一神教の方においては真っ赤になって怒られるか、或いは笑止と一蹴されるかのどちらかでしょうね。

ですが、人の話は聞いたほうが良いです。
聞かなくてもよいのですが、それでも聞いたほうが良いです。
その方が人生においての視野が広がりますし、楽しく生きることができる可能性となり得ます。
なのであなたが特別に影響されやすく騙されやすい方でない限り、そして気が向いたら私の話を聞いてみて下さい。
 

神とは何か

さて、神です。
私は神という存在を特別には信じておりません。
これは、全知全能なる神が世界や私たちを創造されたとする神を信じていないということです。

しかし私たちの世界を、或いは現世というものをを超越した何かを疑っているということはありません。
それらが有ってもおかしくはないと考えておりますし、それらを無いと断ずるほどに私たちは何かを知っているわけでもないと考えております。

その上で前者であるところの神と、後者のこの世を超越せしものとの差異。
これは一体何であるのでしょうか。

私は、それが人の希望足り得るか。
人がすがることのできる存在足り得るか。
善か悪か、正が負か、陽か陰か。
つまり、これら人の意思であり都合ではないかと邪推するのです。
 

神の枠割

さて、人の都合ほど信憑性のない定義や証明というものもないでしょう。
戦争は悪であり、善です。
私たちは平和を望みながら、知った上で、或いは知らずして争いを容認します。
戦争反対、私は善良であると叫ぶ市民も、かつての悪の施しを受けているものです。
その上で何も知らずともよいという甘えを許されているに過ぎません。
これは人を個と言う枠から解き放った時にご理解をいただけることでしょう。

つまり、神が私たちをお創りになられたのではない。
このような不確かな私たちが、神を作ったのであるということです。
私たちが生きる上で都合の良いように、言い訳のできるように、私たちの邪悪の受け皿となるように神という存在が君臨するのです。

このように言えば、たしかにその限りでもないのです。
ですが、たとえばシリア空爆の被害者の大半は市民です。
現代においては、これが戦争犯罪であるとの論調ともなることでしょう。
しかし時代が時代であれば、また私たちが未熟であれば、その地域の市民は神の怒りに触れたのだ。
或いは神がお試しになったのだと考えられてもいたことでしょう。

本当にそうであるならば、全世界の大半が死滅じているべきです。
それが人災であれ天災であれ、私たちは時に理不尽という暴力に抗うことができません。
故に私たちの上位の存在を、その気まぐれを作ったということではないでしょうか。
 

求めるのか、与えるのか

そして、そのような神を信じるということは、つまりは人の都合や言い訳に殉ずるということでもあります。
人は支配をしたがる反面、されたがるものでもあります。
そこに当人の幸せが有ればよいのです。

ですが、私は人の人生の真なる幸せを考えたとき。
自立に勝るものはない。
このようにも考えております。

この自立というものも、所詮は程度論となるのです。
ですが、そこからどれだけの妥協を否定できるのか。
そしてどれだけの克己と可能とできるのか。
ここに、私たち人としての真価が問われているのだと私は考えます。

そのために、体の良い言い訳に安易に納得をしてはいけない。
自らの思考を止めてはならない。
甘やかしてはならないと考えるのです。
 

信仰とは自由である

つまり。
神の定義など十人十色であって良いということです。

そもそも我が国には思想・良心の自由と言うものがあるのです。
その自由の先は自由であるべきです。
自由とされた行き先が、幾つかの限られた考え方であったり、幾つかの教派である必要はありません。

よって、私は私たちはこの世に生を受ける以前。
この世を超越したものであった。
それは即ち、神であった。
私はこのような考えに至るのです。

この考えを持ち、私が尊大であると言われるのであれば、それは私が尊大であるということなのでしょう。
誤解ではなく、正しくしっかりとその評価を頂戴したいと考える次第です。
 

かつて、私たちは神であった

さて、かつて、私たちは神であった。
その神々が地上に降り立ち、地上において根を張ります。

根を張るとは生きる地盤を確立するということであり、人としての幸せを得るということでもあります。
家族がいて、友人がいて、尊敬できる方に恵まれる。
食事、睡眠、生殖、身の安全、愛情、富、名誉、美、承認、尊厳。
あらゆる快適を求め、そしてそれらに恵まれます。

お気付きになられているでしょうか?
それら快適を謳歌する反面。
私たちはその快適に縛られているのです。

根を張れば張る毎に、私たちは身動きをとることができなくなります。
根とは、この世に私たちを縛り付ける鎖でもあるのです。
幸せとはつまり、しがらみでもあるということです。
 

私たちの本質とは何か

では、私たち個人を人として考えたとき。
私たちは地上で生きればよいのです。
あらゆる場所に大きく根を張り、出来る限りの幸せを享受し、堪能すればよいのです。

ですが、私たちがかつての神であるとしたとき。
それを行えば、私たちは名実ともに人へと成り下がるのです。
私たちが、かつて神であったということを忘れ、その有り様をも忘れます。

私たち無から始まっており、いずれは無に帰るということを否定します。
心が依代、或いは現世に囚われ、執着し、未練を生じます。
その邪悪を容認するために自らより神であることを切り離し、神を独立分離させ、その邪悪を押し付けるのです。

これは堕天と言えるでしょう。
私たちが都合良く求める神などどこにもいない。
真に願い求めるならば、その神は自らの中にのみ存在をするということです。
 

私たちが生きるということは何か

故に、私は。
私たちはかつて、神であった。

私たちの生き様は、かつての尊厳にふさわしくあるべきである。
個に囚われず、執着せず、未練を生まず、その上での幸福を模索する。

願わくば、誰かにとって神のようにありがたく思われるものでありたい。
このような願いを込めて。
神とは、私たちのことである。

神としての生命を意識しよう。
この、神活を提案するのです。
何処かに、栄えある第一信者となってくださる方はいないものですかね。
いないですよねぇ(*´ω`*)

おわり。

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